投稿者: mousou-koji

  • 関西 vs 関東

     千年単位で争われている事かも知れない。勃発したのは世界初の「農民革命」と言われる方もいる鎌倉幕府の誕生で、関東の無法者(多くは、ど田舎の百姓集団かも知れない)に六波羅探題を設営され、聖地を占領支配された人々との血で血を洗う争い以外には、概ね噛み合わない争いに端を発しているのかも知れない。

     少し脇道にそれると、「農民革命」を標識に捉えると、源氏の追放であり、上皇2名の流刑、一所懸命の思いはすんなりと理解できる。革命と言う意味では当時の思想文化の背骨である仏教に禅宗を持ち込み噛み合わない文化軸をつくるなどの見識の深遠さが、以降、曲がりの大きな紆余と曲折があるにしても農民革命=武家政権を維持・発展させたと妄想する。

     そんな千年の争いの中で、関西の拠点のひとつ京都に概ね二十年ぶりに三日間、行った程度で、表題のことを論じるのは妄想とは言え誠に面映いが、記してみたく。

     京に着き、駅から烏丸通を北上し、東本願寺や東山にわずかに引き寄せられて佛光寺をへて、さらに烏丸四条を北上、烏丸蛸薬師を左に折れ前田珈琲・室町本店に入る。京問屋を改装した店舗は奥へ、奥へと続く。京町家と異なり間口も広い。コーヒーは、かつて愛飲したイノダコーヒーをシンプルにした感じのように味わった。

     翌朝。ふと考えモーニングを食べに立ち寄る。モーニングとは言え1000円を超えるお値段なので、パワーモーニングのような佇まいとなる。迫力。店舗や店員も何気に前田珈琲を演じているように感じた。

     その後、春秋を数え切れないほど経過した知人の方々に会い、歓談となる。何か、常日頃の会話と造りが異なる感覚がある。気の所為か、どうも「人生」や「思い」を起点に会話が進んでいるようなのだ。日常を徘徊する都内にある会話の多くは「事象や事態」を軸に会話が動いているように思えた。何処かが違う。

     帰りに、京の街をドライブ風に周遊する中で、人生や思いから生み出されるモノやコトと、事態や事象から生み出されるモノやコトではどこか接る人に与える風合いに違いがでるのだろうと妄想した。古都、されど千年の都。